075 diary.

ワクワクするものだけ摂取して生きていたい

祖母の死

先日、祖母が亡くなった。突然だった。

先週の半ばから母から「仕事の後元気あったら連絡してね」とLINEが何度か入っていた。
最近は仕事と仕事に付随するあれやこれやでとても忙しくて、プライベートの諸々でメンタルのブレーカーが切れていた私は、心身ともに全く余裕なくほぼ無気力に生きていたので、ちょっとごめん今はしんどい、と母へ返事していた。何か緊急の内容だったら母は電話で連絡してくるので、別に大した用ではないと思っていた。

私が心身ともに余裕がなくなると連絡不精になること、母はよく理解してくれているのでそこから連絡はしばらく来なくなったけど、「おばあちゃんが、心筋梗塞」とだけメッセージが入った。「入院?」と返した私に、母は「まあ、また落ち着いたら連絡して」と。医師の私にとって心筋梗塞は日常茶飯事とまでは言わないもののよくある疾患で、緊急でカテーテル治療を行えば基本大丈夫、という中途半端な(強調)知識を持っていて、母からも全然緊迫した感じは伝わってこなかったので、きっと治療して落ち着いている感じなのだと察していた。

その日は結局仕事から帰宅後即バタンキューしてしまい、翌日電話しよう、と思っていたところ。
翌日、仕事からの帰路についている私に母から電話。なんとなく嫌な予感がして電話に出ると涙声で緊迫した様子の母。「おばあちゃん、緊急カテーテル後落ち着いていて元気だったから今日はICUから一般病棟に戻ったんだけど、さっき心停止したって病院から連絡があって。心破裂したって。今は一応応急処置で心拍再開しているみたいやけど…」と。


心拍再開したと言っても、心破裂してしまったらもう厳しいということは、私にはわかっていた。

 

後悔が押し寄せた。

母が、連絡してねと言ってくれた時にすぐに連絡していれば、きっと祖母に連絡していただろうから。心停止する寸前まで母や父とはLINEをしていたみたいだから、私から連絡していればきっと声を聞いたり、メッセージのやり取りはできただろうから。
あと、一番心残りだったのは、2ヶ月ほど前に祖母から来たLINEの返事をしていなかったこと。この時も仕事で限界を迎えていたので、落ち着いてから返信しようと思って忘れていた。

 

そこから数時間後、祖母は亡くなった。

 

悲しみに暮れる、というよりは突然すぎて実感が湧かないまま、そして後悔の渦に飲まれながら翌日帰省した。

仏間で横たわっている祖母。いつものように寝ているだけのように見え、すぐに起きて笑って私の名前を呼んでくれそうな錯覚に陥ったが、私の声かけに全く反応はなく、そっと触れた祖母の身体は硬く、ひんやりとしていた。

 

それでもなお、祖母が亡くなった実感は出ず。

 

 

葬儀の2日間で色んなことを思い出した。

祖母の家は私の実家から徒歩1分のところにあり、小さい頃から頻繁に祖母の家には通っていた。

私が3歳の頃、弟が水ぼうそうになり隔離のためおばあちゃん家でしばらく預かってもらい、一緒にドラえもんのビデオを見て、ドラえもんの絵描き歌(ま〜るかいてチョン、のやつ)を一緒に覚えたこと。

小さい頃から、毎年近くのリゾート地区にある祖母の別荘に連れてってもらって花火を見に行ったこと。

私のピアノやバレエの発表会、運動会などの学校行事にもいつも祖父と来てくれたこと。

祖父・祖母の陶芸アトリエに遊びに行ったり、陶芸を教えてもらったこと。

私が反抗期や思春期で、父や母との関係がうまくいかなかったとき、何も聞かずに「おばあちゃんはいつでも絶対にあなたの味方だから。なんでも頼りなさいよ。」といつも温かく言ってくれたこと。

祖父が亡くなった後、習い事や趣味に行くようになり、その話をいつも楽しそうにしてくれたこと。

そして、私が医師になったことを一番に喜んでくれていたこと。
祖父が戦後並々ならぬ努力で医大に入学し、医師になったのを側で見ていた祖母は、祖父の後も父、私と医師になったことをものすごく誇りに思ってくれていた。

最近は脳梗塞や硬膜外血腫になり病気続きだったけど、意欲的にリハビリを頑張っていて、行き始めたデイサービスで、こんな面白い人がいてね、と楽しそうに話をしてくれていたこと。

 

いつ会いに行っても、かわいい満面の笑みで私の名前を呼んで出迎えてくれて、帰る時は玄関を出て私が見えなくなるまで手を振り続けてくれた祖母。

 

祖母はいつだって、私を愛してくれて、私を褒めてくれて、私を肯定してくれて、私を喜ばせてくれて、私を守ってくれていた。

 

 

葬儀が終わって電車で帰っている中、そうか、もうあの笑顔を見れないし、私を呼ぶ声も聞けないんだと思うと、初めて、祖母が亡くなったことの実感が湧いて、一人で大泣きした。

 

 

 

“身近な人が亡くなることの悲しみや喪失感”といった感情を私が初めて(擬似)体験したのは「西の魔女が死んだ」という本を小学生の頃に読んだ時だった。"魔女"である、主人公のおばあちゃんは、芯が強くて愛が深いところが私の祖母と似通っているなという記憶があり、それを思い出してまた今になって読んで、またボロボロと泣いた。

 

作中、「人は死んだらどうなるの?」と主人公のまいがおばあちゃんに問うたときの答え。

「おばあちゃんは、人には魂っていうものがあると思っています。人は身体と魂が合わさってできています。魂がどこからやって来たのか、おばあちゃんにもよく分かりません。いろいろな説がありますけれど。ただ、身体は生まれてから死ぬまでのお付き合いですけど、魂の方はもっと長い旅を続けなければなりません。赤ちゃんとして生まれた新品の身体に宿る、ずっと以前から魂はあり、歳をとって使い古した身体から離れた後も。まだ魂は旅を続けなければなりません。死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと、おばあちゃんは思っています。きっとどんなにか楽になれて嬉しいんじゃないかしら。」

 

この言葉を読んで、ああ、と少し気持ちが楽になった。

まだ若い頃に胃癌で胃を切除したり、子宮癌術後の腸閉塞などで晩年はずっとお腹の痛みに悩まされていて、食べるものや量がかなり制限されていた祖母。昔から旅行が大好きで、海外へも何度も旅行していて、祖父が亡くなってからも一人でバスツアーに参加したりと意欲的に旅行していたけれど、ここ数年は体力も落ちてきて脳梗塞になったりでなかなか遠出はできていなかったから、これから、自由になった魂で、食べたいものを思う存分食べていてほしいし、色んな地を飛び回っていてほしいな、と思う。

 

 

突然のお別れになってしまったけど、でも、自分のことは自分でしたい、と自立心が強かった祖母にとっては、自尊心を傷つけることなく、苦しむ時間も短かったので、そういう点ではよかったかなと思ったりもする。

 

日が経つにつれてたくさんの思い出と祖母からの愛情を強く思い出していて、まだしばらくは悲しみの渦から抜け出せそうにないけど。

 

 

優しくて、強くて、愛情深い祖母の血が私にも流れているのを誇りに思いながら、私もこれから強く生きていく。

 

 

あと、LINEの返事はすぐにするようにします。